「嘘をつくこと」
すべてが悪いことじゃない
「悪意のある嘘」と「傷つけない為の嘘」
「正直に喋ってしまう」ことが
本当に「いいこと」ばかりじゃない
「正直に言ってスッキリする」
のは本人だけ
聞かされた方は
「どんな気持ちになる」のか
本当に愛している人なんだったら
悲しませ傷つけてしまうことは
絶対に話すべきじゃない。
私だったら聞きたくない
私も絶対に言ったりできない
「知らなければ幸せでいられる」
ことって沢山ある
「知る必要がない」ことなら
大事な人を「わざわざ苦しめる必要」
なんてない
それでも喋ろうとするなら
「自分は本当に愛されてるのか」
不安があるから。だから
「相手の気持ちを傷つけてしまう」
ことではなく「自分が喋ったこと」で
「どんな反応をするのか」
「なんて言われるのか」
それが「気になっちゃって」
「知りたくて」仕方ないのかも
「かけがえのない人」には
「辛い事実」を
絶対に気づかせないよう
「隠し通して」ほしい。
それが「自分がしてしまったこと」
であるなら尚更隠し通すべき。
それが「愛情」
それが「最低限の責任」
「わからなければ」
「知らないでいられるのなら」
傷つかないで済むんだから
それで幸せなんだから
「やっぱり〇〇には嘘ついてることできないわ」
と自白されたら
「は?できないじゃなくて嘘つきとおせよ」
と思います。
嘘ついてることができないのは
自分の罪悪感で苦しいから。
スッキリしたいからじゃないの?
って。
それを聞かされて
アンタは楽になるかもしれないけど、
それをこっちに流して共有させて
どうしたいの?
こっちは最悪です。
何もいいことがない。
正直に言ってくれることは
信用してくれてるのかもしれないけど。
自分の中だけで解決すべきじゃないの?
そうして欲しかったって。
自分と相手の気持ちを冷静に考えること
しなかったのか、
できない人なんだなって感じます。
[欲求]や[欲望]を抑えられない理由で
裏切ってばかりいる人なら、
そんな人といる自分にも問題あるわけで、
[見抜けない]のか、
[許してる]のか、
[嘘]や[隠す]のが[上手]なのか、
そんな感じで継続されてるんだと思います。
大事な人を裏切ってしまうことになる行為全てが
絶対やっちゃいけないことだとは私は思わないんです。
何がダメで何をやっちゃいけないとか
そんなものなんて無いと思うんです。
精神状態を保つことは
人にとって大切なことだからです。
ストレスというのは
蓄積されると身体や精神に悪影響を及ぼしてしまうので。
ストレスは目に見えないから厄介で
毒みたいなものだと思います。
だから自分なりに
やりたいことをやってストレスを発散していく
ことはとても大事なことです。
病気になったり
心が病んでしまったら
自分だけじゃなく周りも大変になります。
そうならないためにも
自分自身をコントロールしてほしい。
それが例え裏切り行為になってしまうとしても、
興味や好むものは
人それぞれの個性なので、
「これはダメ」だけど「あれはいい」とか、
決まってないはずです。
何が良くて何がダメなのかは
価値観の違いなので。
だから
一般的によろしくないようなことであったり、
人道に反してることなら、
自分で判断していけばいいと思うのです。
大事な人に気づかれないように
細心の注意を払う、
それも大事なことです。
悪いことじゃない。
むしろそうするのが
「思いやり」「愛情」
そんな「神経遣う」の疲れて嫌なら、
1人になる方がよっぽど思い遣りのある生き方
だと思います。
常に気苦労しながら
細心の注意を怠らないようにしながら
自身の為に発散していく。
できないなら
大事な人を手放して1人で生きた方が
自分にとっても相手にとってもいい
のかもしれません。
自分が苦しくならないようにするのは大事な事。
相手の心を傷つける事をするなら
バレないように完璧にする。
それが悪い事なのかどうかは
人の価値観で人それぞれ。
だけど
人は知らなければ何の障害もなく暮らせるのも事実。
知らない事で
安らぎがそこにあり続けられるなら、
誰も傷つかずに済むんだから。
「嘘つく人は最低な人間」
「悪い事」
だと「偽善」っぽく言い張る人が
多いように思いますが、
「常識的」な「固定観念」だけで
「判断」しない方がいいと思います。
「何が良くて」「何が悪いのか」
はその時の状況によって
「人の気持ちを最優先してあげて」
ほしい。
そしたら
「皆が傷つかず」に
「平和」
でいられるような気がします。